伊達公子インタビュー


「ジュニアランキング100位以内を目指すなら、日本国内の国際ジュニア大会が欠かせない……」

それは半年ほど前から、彼女の中で淡い光を放っていた、一つの道筋だったという。

 

世界で戦える選手を育てたい――。

 

その情熱を原動力に、世界4位まで上り詰めた伊達公子が長年のパートナーであるヨネックスと共に、“伊達公子✕YONEXプロジェクト”をスタートさせたのが約1年前。厳選なオーディションの末に4人のジュニア選手を選出し、その4人と直接触れて指導していくうちに、「今後必要なことは何か」と考え思い至ったのが、世界に羽ばたく足がかりとしての、ジュニア大会の存在だった。

その思いを後押ししたのが、2019年から施行された、ITF(国際テニス連盟)の大会システム改正である。従来のITFのシステムでは、ジュニアの世界ランキングと一般(シニア)大会のリンクはなく、ジュニア卒業後は誰もが同じスタートラインに立っていた。それが2019年施行の新システムでは、プロのITF主催大会に、ジュニアランキング上位選手の出場枠が設置されたのだ。

 

ならばなおのこと、ランキングポイントを稼げる多くのジュニア大会の必要性が高まる……そのような思いを伊達が強くした後に“伊達公子✕YONEXプロジェクト”と日本テニス協会、そして大正製薬社との提携の話も進みはじめていた。

「ジュニアのための環境整備は、私のなかでやりたいことの一つ。プロジェクトに選ばれた選手たちの目標を実現させ、私のやりたいことの方向性とも合致するなかでの動きでした」

種々の要素が重なり一つの潮流が生まれるなか、ジュニア大会の設立は「至ってシンプルな流れ」だったと伊達は言った。

 

今回のジュニア大会で、伊達が背負う肩書きは“ゼネラルプロデューサー”。その役割はというと……、


「とにかく、大会全体を見ることですよね。もともと私の『大会を作りたい』という思いから始まり、実際に開催地や会場などを決める段階から色々と意見を出してきました。やる側、受け入れる側にメリットがあり、選手に参戦したいと思って頂けるにはどうすれば良いか、というところから話し合ってきました」

 

それら意見交換と話し合いを重ねる中で、大会の開催地が愛媛県松山市となった背景には、伊達自身の足跡とも重なる複数の理由がある。

彼女がプロとして戦う覚悟を決めた、高校3年生時――。当時「サテライト・サーキット」と呼ばれた世界への登竜門となる大会で、初優勝を手にしたのが松山市だったのだ。さらには、2008年に「チャレンジ」と銘打ち現役復帰を決意した時にも、最初にキャンプ地として再始動した場所が愛媛。彼女にとっては「非常に思い出深く、縁のある」土地だった。

 

加えて大きいのは、会場となる愛媛県総合運動公園には、インドア施設も備えたハードコートが17面あること。世界で戦うには、テニスの主戦場であるハードコートでの経験が重要だと強く主張する伊達にとって、ハードコートは必須条件だった。

 

「私はずっと、ハードコートにこだわっていました。愛媛県総合運動公園には新しくインドア施設もできたので、雨天でも試合ができるのも大会運営上での決め手です。

それに、何かしら自分に縁がある地域でやることも必要だと思っていました。それはなぜかというと、関係者たちみんなが同じ思いを持って取り組めるからです。大会は、ただ開催すれば良いというものではありません。ジュニアのための環境を整え、経験をプラスし、今後も大会が増えていく必要があります。地域で一つの大会を開催することにより、他の地域の方たちにも、ITFのルール改正の理解を深めてもらえればとの思いもありました。

私が大会を開催することでテニスの環境整備になればいいし、テニス界を盛り上げる機会を与える意味でも、やりがいのある形になると思います」。

 

その新たに生まれる大会で、“伊達公子✕YONEXプロジェクト”の一期生である4選手たちも、掛け替えのない経験を得て世界の伊吹を肌で感じるはずだ。

いずれも15歳以下の一期生たちだが、今だからこそ経験すべきことがあり、早すぎることはない。

 

「育成において何歳が一番重要かというのは、人それぞれ大切なことを求められる時期が違うので、難しいところだと思います。私は両親から『せめて高校くらいは卒業して』と言われて進学した世代であり、まだ高校テニスが盛んな時期でもありました。そのあたりは当時と今とでは、ずいぶん感覚が違うと思います。今は高校に進んでも、プロがより身近になったなかでの取り組みがあるし、その前の段階は、テニスに真剣に取り組むかどうかの判断が迫られる大切な時期。

ですからどの年代が大切かは難しいですが、私はできれば小学生時代くらいは、勝敗に捕らわれず、スケールが大きくなるようなテニスとの関わり方を大切にして欲しいと思います。その後、年齢を重ね熱意が強まるほど重要度が高くなるのは自然なので、やはり14、15、16歳くらいが重要になってくると思います」。

 

自らが18歳の時、世界へと飛び立つ大きな一歩を踏み出した、思い出の地――。

その愛媛から、伊達公子が残した轍を辿り、日本のジュニアが世界へと羽ばたいていく。

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